卒業式とよろこびのうた

3月20日。
決してすっきりはしない空模様でもあったけれど気持ちのよい朝。
今治高等学院の卒業式に(また)よばれてもないのに出席。(しかも来賓席)

相方:ごいっちゃんが校長兼先生を務める学校の卒業式。
学校になじみにくい子供のための学校の卒業式。
つむぎの村の祭りのお手伝いをいつもしてくれる子供達の卒業式。

今年は3人の生徒の卒業。

 

毎年毎年この式で思うことは、ここの学校の生徒達と出逢える事は私にとって財産。
ここに書き始めるときりがないけれど、私やごいっちゃんよりもほんとに大人な生徒達には頭がたれる思いでいる。

そんな頭がたれる生徒にごいっちゃんは答辞で
「こんな若い先生で大丈夫かな?と思いました。」と言われてました。

「吾一先生はなにも言わないけど私達一人一人をちゃんとみています。
いろんな学校に行ったけどこんなに見てくれているのはここだけです。」と。
よかったね。

去年は子供を抱いた生徒に、
「ごっさん、子供なんか出来たら出来たでどうにかなるんよ。産めよ~!」といわれてました。

30すぎた大人は10代20代の生徒にまだまだ教えられており、卒業式が終わるといつも二人で「教わることは多いね。」と電話で話すのです。


同じ日の夜。
広島西条でハッチハッチェルバンドライブ。
ギターパンダ:山川ノリヲの大の戦友、ハッチハッチャルバンド。

主催者は今回の震災でのことで自粛するか決行するか
ずいぶんどころかずいぶんの配慮と覚悟を持って決行。
50人以上の人たちが様々なところから集まり、
主催者の覚悟とハッチハッチェルバンドのライブを心ゆくまで楽しんでいた。

ハッチハッチェルが最後にお客さんと一緒に『第九』を大合唱した。
終戦(昭和20年)翌年。
原発が落ちた広島は混沌とし、人は音楽を聞く気持ちの余裕などなかった頃、
『ムシカ』と言う喫茶店の亭主が闇市で米とレコード一枚を交換した。
昭和21年大晦日。
ムシカの亭主がレコードコンサートを催した。
店内はもちろん、店の外にも人が集まり、コンサートが終わるまで誰もその場を立ち去るものはいなかった。
そのレコードが『第九』だった。

そんな話が広島にあることをハッチハッチェルは知ってるか知らないかは知らないけれど
『第九』をみんなで大合唱したとき、被災地にも花と音楽が届けば…と思っていた。



いい夜だったなぁ。